私の終活(3)終活の本分

 終活の本分は、死の意味を知ることであり、死後を知ることであり、死後の復活を確信することである。

 誰でも高齢者になれば、自分の死を意識するようになり死後についても考えるようになる。若年時代は死や死後のことを殆ど考えない。死を考えるのは非日常的なことなのである。

 それが私の歳になると日常的なことになる。そして多くの人たちが宗教に関心を持つようになる。

 宗教は死の意味や死後を知る手がかりになるからである。確かに宗教はいずれも死の意味や死後について語ることを本分としているのである。

 私は日本聖書神学校を卒業してから、日本基督教団の正教師となり、40年間牧師として教会に仕え、聖書を解き明かし、主イエス・キリストの福音宣教に仕えてきた。

 聖書はイエス・キリストを唯一の神の御子であり唯一の救い主であると証言するのである。また、イエス・キリストは父なる神を知る唯一の方であり、神の国から来臨された唯一の方であり、神の国を知る唯一の方であると証言している。

 そして主イエス・キリストは「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」と言われ、「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」と全ての人たちを招いておられるのである。

 

ー聖句ー

 「イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」ヨハネ11章25、26節