私の終活(4)死に伴う恐れ

 私は幼い子供の頃から死ぬことを恐れていた。理由はわからなかった。死人が墓に葬られるのを見たこともない、悪いことをすれば死んだら地獄にいくと脅かされた記憶もないのである。それどころか私の子供時代は、戦争が終わり、生活は苦しくても、大人も子供も死から生への希望に溢れていたのである。

 私は戦中に生まれ戦後を生きることになった。日本は昭和20年8月に敗戦を認め終戦となった。私は3才であった。戦時中を生きた親たちの苦労は戦後の平和と経済成長の時代を生きてきた私などの苦労の比ではない。終戦の前後は、日本中が食料難であり飢えに苦しんだのである。

 それから平和憲法が制定された。そして民主主義の国造りの時代が始まったのである。日本の戦後復興は死の不安から解放された自由と喜び、労働や学びや努力が報いられ実を結ぶ喜びを原動力にして成し遂げられたのである。 

 しかし、朝鮮戦争が1950年に勃発すると、日本はアメリカに追従することによる軍事産業によって経済発展の時代にはいった。日本は民主主義を揺ぎ無くする前に経済を優先する国となったのである。

 それでも日本は自由と平和を享受する国を曲がりなりにも保って来た。私は戦争をしない平和で自由のある時代を生きて幸いだったと思っている。 

 しかし私の死の不安や恐れは消えず燻っていたのである。その理由はキリストの教会で聖書を学ぶことで明らかになった。死ぬことの恐れは、私の内側から泉のごとく湧き出ていたのであった。それで世の中が平和な環境となり、その中で生きても、死の不安や恐れは消えなかったのである。

 それは私の内にある罪(神に背く生活)から生じる恐れだったのである。

 

ー聖句ー

 「罪が支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命なのです。」ロマ6章23節                                                             

 「死のとげは罪であり、罪の力は律法です。」 1コリ15章56節