私の終活(1)老いの現実

 私は平均年齢に達していないが、知力や体力の衰えは明らかに思考や行動に表れているのを認知できる。私は歳相応に衰えるのを抗わないで受け入れようと思っている。しかし、生きている間は、歳相応に心身の健康を維持したい。私は死ぬ直前まで食事、入浴、排泄、着替え等、生きるための基本的所作を他人の世話にならず自力で行いたいのである。

 私は住み慣れた家で死ぬことを望んでいる。私は延命治療を望まない。我が家で出来る治療を受けながら死を迎えたいのである。しかし家族が苦労することなので病院で死ぬことを受け入れる柔軟さを失ってはならないと思っている。

 現実は、死に逝く者の意志に反して、本人が行きたくないところに連れて行かれるのである。そして、病院や老人施設が死に場所となるのである。我が家には死んでから遺体で帰ることになる。それは止む無き仕儀なのであろう。

 

ー聖句ー

「はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ヨハネ21章18節